日本で最初のマタニティマーク「BABY in ME」インタビュー②
シリーズ/妊婦さんを支える人々
日本で最初のマタニティマーク「BABY in ME」
村松純子さん インタビュー②
(全3回)
――そして1999年にHPオープン。
当時は個人でのホームページ(以下、HP)開設が一種のブームで、私も友人にお願いして、作ってもらいました。今思えば拙いもので、わずか2ページだけのHP(笑)。しかも最初に販売したのは、BABY in MEのマークが入ったTシャツだけ。その後HPはもう少し手直ししましたが。
HPオープン後は、雑誌の読者プレゼントなんかで取り上げていただけるように働きかけたりして手応えはありましたが、大きな転機となったのは2000年5月に朝日新聞に取り上げていただいてから。これを機にHPのアクセスが急増し、いろんな方や団体からも連絡をいただけるようになりました。
――最初にTシャツだったのはなぜでしょう。
有名なファッションデザイナーのノーマ・カマリが、乳がん予防活動のシンボル「ピンクリボン」のTシャツを作ったのを見て「新しいコンセプトを発信するならTシャツだ!」と感じたので、一度はやってみたかった(笑)。それにTシャツなら、もし余っても誰かに配ればムダにならないし(笑)。3人が並んでいるようにしたのは、着る女性の下着のラインを隠したかったからです。
次に作ったのがステッカー、その後にバッジ。バッジは、ステッカーを自分でバッジにして付けた人から「席を譲ってもらいました。ぜひバッジにするといいと思います」というメールをいただいたり、他にも「バッジを作ってほしい」という意見がとても多かったので作りました。今はバッグチャームやキーホルダー、車用のサイン類などアイテムも増えましたが、どれもHPに寄せられた意見に促されて作ったものです。
――2000年以降、新聞や雑誌などでたびたび取り上げられるようになり、やがて厚労省がマタニティマークを公募するきっかけとなりました。こうした一連のあゆみの中で、印象深かったことは?
聖路加看護大学の堀内成子先生(同大学看護学部長 母性看護・助産学研究室/日本助産学会理事長)からご連絡をいただいたことです。
日本助産学会の理事長でもある先生から「私たちもこういうマークがあればとは思っていましたが、具体的な形にはなっていませんでした。非常に共感するところが多いので、一度お会いできませんか?」とご連絡をいただいて以来、長く応援やご協力いただいています。
日本各地の自治体や市民団体などからも声をかけていただきました。おもしろいところでは、釧路市の市民団体「くしろ演劇みたい会」の皆さんが、自分たちでBABY in MEの紙製のキーホルダーを購入して、それを市に寄付しておられます。
この紙製のキーホルダーはボールチェーンをつける必要がありますが、これを業者さんにお願いすると購入時の費用がかさむので、「くしろ演劇みたい会」の高校生メンバーの方が手作業でやってくれています。会の運営者の方は「作業することで妊婦さんへの気遣いへの意識が高まる」と。
BABY in ME(R)とBABY in MEマタニティバッジは、日本助産学会推薦、(社)日本助産師会東京都支部推奨。売上の一部は、聖路加看護大学に寄付し助産学の基礎研究に活用されています。
【参考】マタニティマークのパイオニア「BABY in ME」公式サイト
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