「言葉で作ったたくさんの手」を使って、つなぐ。
3月からきずなメール・プロジェクトでお仕事を始めさせていただいた、古屋です。
日々新しいことに驚きながら仕事を覚えている最中です。
私が日々感じたことや驚いたことをこちらで書いていきたいと思います。
私には4歳の娘がいますが、家族ごっこで遊んでいる最中、こんな質問をされました。
「ママの新しいお仕事はなーに?」
すぐに答えられず困ってしまいました。
私は以前、書店で働いていたのですが、その時の娘は仕事と言えば本屋さんだと思っていました。
「これから本屋さんのお仕事なのよ」とお人形相手に言い聞かせ、本を並べる真似をして遊んでいたものですが…。
いったいどう説明したものでしょう。
少し考えて、
「いろんなママやパパを、応援する仕事だよ」と言ってみました。
娘はふうん、としばらく考えて、
「フレー!フレー!って?」と首をかしげます。
娘にとって応援する仕事と聞いて想像できるのは、どうやらチアリーダーが精いっぱい。
そして次の日からは、うちのチビママの仕事はチアリーダーに…は、なりませんでした。
ちょっとごっこ遊びに取り入れるのは難しかったようです。
いったいどう説明したものか。
私はもう一度、考えてみました。
子どもにわかる言葉を使ってきずなメール・プロジェクトの仕事を伝えるのは、なんだか難しそうです。
「ママやパパに何か困ったことがあったとき、どうしたらいいのかわかるようにお手伝いするお仕事だよ」
「携帯電話で、ママやパパたちにお手紙を送るお仕事だよ」
「ひとりぼっちで大変なママやパパはいないですかー?って、声をかけるお仕事だよ」
なんだかどれも、部分的なように思います。
あれこれ考えているうちに、ある一つのフレーズが頭の中をずっと回り始めました。
実は、ここで働き始めてから何度か頭の中をよぎったフレーズでもあります。
それは、前田史郎という人の小説のタイトルです。
『誰かが手を、握っているような気がしてならない』
この小説、15年ほど前に発表されたもので、当時読んだとは思うのですがその内容はすっかり忘れてしまいました。
でも、当時から今に至るまで、このタイトルだけは何度も思い出してきました。
このフレーズは、「かなしい」とか「うれしい」に並ぶ、ある心の状態を表す新しい言葉みたいな感じがします。
そしてまさしくこの気持ちになることが、これまで何度かあったのです。
それは例えば、こんな日のこと。
もう自分自身がとことん嫌になって、自分なんかいなくなってしまった方がきっといい、と自暴自棄な気持ちになった。
でも、本当にいなくなれるような気がしなかった。
それは自分に出来ることがあるとか、必要とされているとか、そんな明確な前向きな気持ちからではなかったけれど、ただなんとなく虚空に向けて手を握り締めてみたら、そこに誰かが、いるような気がした。
誰かが手を、握っているような気がしてならない。
当時子どもはいなかったけれど、もしかすると、きずなメールはこんな、「架空の手」のような存在なのかもしれないな、と思ってみました。
実際に手をつないで引き上げてくれるほど強い力ではないけれど、たまにやってきては、小さな音で心にノックをして去っていく、そんなささやかなシグナルとしてのメッセージ。
「ママの仕事はね、言葉で作ったたくさんの手を使って、たくさんのママやパパと手をつなぐことなんだよ」
と言ったら詩的がすぎるでしょうか。
まだ始まったばかり。堂々とこんな風に言えるよう、仕事を覚えていきたいです。
そして、娘のごっこ遊びに取り入れてもらうのはやっぱり難しそうです。(了)