16時に上がる人になりましょう。
3月からきずなメール・プロジェクトでお仕事を始めさせていただいた、スタッフAです。
日々新しいことに驚きながら仕事を覚えている最中です。
私が日々感じたことや驚いたことをこちらで書いていきたいと思います。
「保育園のお迎えは何時ですか?」
この質問を受けたのは、私が在宅での勤務を始めてすぐのことでした。
「16時20分に家を出ます」と伝えると、ギリギリだから、15時半過ぎたら上がる準備を始めて16時に上がる人になりましょう、と言っていただきました。
「いや、もっとギリギリまで働けます!」
反射的に、そう言わなければいけないような気がしました。
なぜなら、自分が優秀な仕事人であるためには、「たくさん働けること」が大きな価値だと思ったからです。
こういうことを考えるのは、シホンシュギ的だ、という人もいるかもしれません。
資本主義とは、例えば5000円の労働力を買って、8000円の儲けを出す、ということが重要になってくる仕組みです。
つまり、より切り詰めた労働力で、余剰の価値を生み出すこと。
その視点に立てば、同じ賃金でたくさん働けるということは、確かに一つの価値なのです。
でも、時間が来る前に準備を始めて、きっちり上がりましょうと言ってくれるのですから、サービス残業の世界から来た私はびっくりでした。
もちろん、きずなメール・プロジェクトだって、運営をしていかなければいけない以上、資本主義の一端にいることは確かです。
それでも、私の労働力としての面だけでなく、私の子どもや家族、生活をも大切に考えてもらったようで嬉しい気持ちになりました。金額には直接換算されにくい価値を、守ってくれるようにも思えて。
小さな子どもがいるということは、社会の中で仕事をしていこうとするとき、時にハンデに感じることがあります。
長い時間働くことは難しいし、子どものあれこれで働く前から疲れ切っている朝もあります。
子どもと資本家は全然違うけれど、自分の持つ富が労務規定無視でひたすらに流れ出ていくという意味では、子育てと資本主義には似た一面があるかもしれません。
両者は到底遠い存在ですが、見ようによってはどこまでも無償の労働を要求します。
そうしなければ子どもは生きることが出来ないのですから仕方のないことですが、その無償提供に疲れてしまうことは、多くの方が経験する心持ちではないでしょうか。
そんな時、「大切にしてもらう」という出来事は心をふっと緩めてくれるものです。
私自身、母でもあり労働する人でもありますが、仕事の場でその両面を見てもらえた気がしたのは新鮮で、うっかり安心感に包まれてしまった出来事でした。(了)