きずなメール事業はどんな将来像を提供できるのか
きずなメール・プロジェクトの井上です。
きずなメール事業を行政や医療機関に提案するとき、どんな社会の「将来像」を提供できるかについて考えてみました。私の場合は、唐突ですが、「下り坂をそろそろと下る」の著者平田オリザ氏が終章で述べている「競争と排除の理論から抜け出し、寛容と包摂の社会へ」が近いイメージです。
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出産・育児を理由に仕事を休みにくい男性、常に競争する社会、子育て中の女性が孤独の中で家庭育児をする環境や、または安心して仕事ができない環境。これらは排除に近いのではないかと感じることがあります。
妊娠、出産のタイミングで、一時的にでも社会的弱者のようになる当事者の女性、その家族を、寛容な気持ちで包摂するためには、当事者と子どもがどんな環境に置かれているかを言語化して共有することで、人々の暮らしのルーティンにのせていき、誰もが新しい命の誕生を祝福するという社会に近づくことができるのではと思います。
産み育てることを特別視せず、究極的には、
『子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育園に預けて芝居や映画を観に行っても、後ろ指をさされない社会をつくること。』(平田オリザ著「下り坂をそろそろと下る」より引用)
と言うように、精神的、文化的に満足できる状態が理想だと感じます。
理想にたどり着くために、産み育てるという体験を、当事者だけでなく当事者をサポートする人も一緒になってきずなメールのテキスト上で疑似体験するということは、妊娠期からパートナーや周りの協力者と日々刻々と変化する体調のことや生まれた子どもの状況をシェアすることであり、結果的にチーム力を醸成し男性の育児休業取得につながるケースもあるでしょう。また、きずなメールを講読した卒業生たちによって、妊娠期や子育てをする方々にとってやさしい街になれることもあるでしょう。
きずなメール事業を活用することで、こんな将来像を提供できるのではないかと考えています。
こんな将来像を現実にするためには、どのような視点でテキストメッセージを編集して形作るかが肝心です。
きずなメールは複数の専門家が制作監修したテキストメッセージです。編集によって複雑な要素をいかにシンプルに組み込むかを考えています。きずなメールは妊娠初期には毎日目にするので、どの立ち位置から読者へメッセージを投げかけるかを大切にしています。これは団体の方針というよりも、読者との関係性の中でひとつひとつ試行錯誤してきた要素ばかりです。こういった原稿のブラッシュアップを経て、専門家が制作監修したテキストメッセージが読者にすっと受け入れてもらえるようになることで、将来像が初めて現実のものとなります。
ここがアプリとは決定的に異なる点です。記録媒体ではなく、平時からメッセージを介して「弱いきずなでゆるやかにつながり続ける」ことを目的としている、メッセージの送り手と受け取り手という関係性を長期的に築いてゆける点が「きずなメール事業」の特性です。
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子育て支援、という言葉は、本質的に何を言い表そうとしているのか、不思議に思うことがあります。
子育てをしている女性に向けて、子育てをしやすい環境を整えて支援を行う。支援、つまり社会的に弱者の人に対して補完するようなものなのでしょうか。相談窓口や児童センターや親子イベントを通じて地域と交流することは、部分最適なのではないかと思うことがあります。
ここに男性の入る隙間はほとんどないというのが実感です。児童センターでパパ向けイベントがある場合も、仕事の関係もあると思いますが集まりにくいと聞きますし、多くが女性の活用を前提に組み立てられていると感じます。
女性のみが産休育休を取得するということは、女性が就業する企業の福利厚生にその女性の夫はおんぶにだっこという状態になっている、女性従業員を抱える企業にのみ、結果的にそれが集中してしまう、という見方もあります。
産休育休社員のしわ寄せが社内で発生してしまうニュースもありました。もしこれが男性社員も育休を取得する環境にあれば、それは、産休を取得する女性に対してだけの課題ではなくて、平常時からチームの誰かが不在でも業務運用に支障のない組織体制をつくるなど、あらかじめ対策できる課題に変化する可能性もあります。
部分最適ではなく、全体最適を目指したいと考えます。妊娠中の女性や産後すぐの女性を社会的弱者としてサポートする事業も重要ですが、その社会的弱者の置かれている環境を周りの人も理解し経験することで、互いに寛容になれる可能性が高くなります。
「競争や排除の社会・地域ではなく、寛容と包摂(誰一人取り残さない)の社会・地域」が、きずなメール事業が提供できる社会の将来像のひとつのイメージだと考えます。(了)