子育ての「こうである」と「そうでなくてもいい」をセットで届ける。
コンテンツチームの古屋です。
現在、より年齢の高いお子さんたちに向けた原稿について日々検討中です。
これまでは0~3歳のお子さんを対象とした完成原稿に触れてきました。
今回は、作成段階から携わらせていただき、唸りながら乳幼児期以降のお子さんの成長について考える毎日です。
きずなメールが配信する原稿は、すべてというわけにはいかないけれど、できるだけいろんな成長のスピードのお子さんに対応する形で、ひろく作られます。
しかし、年齢が高くなればなるほど、お子さんごとの違いはどんどん大きくなり、小学校高学年ともなれば、すべてのお子さんに当てはまることというのは、乳幼児期までに比べるとかなり少なくなっています。
例えば、読書のことについて考えるとします。
乳幼児のお子さんにとっては、できるだけ絵本に触れさせてあげるというのは、どんな子にとっても大切な経験です。
まだ「本」というものの存在すら認識していないお子さんに、それを教えてあげることは、お子さんの可能性をひとつ開いてあげることだと思います。
もちろん、小学校高学年になっても、読書を勧めることは大切なことです。
しかし、本をよく読む子、読まない子では、勧め方に違いが出ることは明白です。
また、なぜ読まないか、という理由も人それぞれでしょう。
読書ひとつとっても、もうすでに読書について様々な経験を積んできた年代のお子さんやその親御さんに対してどんな言葉をかけられるのか、最大公約数的な言葉を探すことが、どんどん難しくなるのです。
そんなことより、個別の状況に合わせて対応する方法を考えるべきだ、という意見も一理あると思います。
そういう役割をしっかり担う場所が必要なことも事実です。
しかしきずなメールには、きずなメールの役割があります。
きずなメールの特徴のひとつは、「登録してくれたすべての人の手元に、同じ内容が届く」ということ。
だからやっぱり、別々の経験を積んできたお子さんの、すべてとは言わないまでもなるべく多くの方に、納得感を持って読んでもらえる言葉を模索することが大切です。
私個人としては、個別の方へと細分化することは、時代に合っているし確かに大切ですが、それと同じくらい、まとめ上げる方向への困難さを引き受けていくことも、重要な仕事だと感じます。
そして、最大公約数的な言葉を探すことと同時に、「その外側に出ることをしっかりと許容する内容」であることも、大切だと感じました。
どんなに配慮しても、例えば小学5年生のお子さんに届く原稿には、「小学5年生とはこういう感じだ」という、平均値的視点は、消し去ることは出来ません。
問題は、「こんな感じだが、こうでなくても気にしないでいい」をしっかりと言うことではないかと思ったのです。
乳幼児期は「この年齢の子はこんな感じ」を知ることそのものが親御さんにとって支えになるかもしれません。
だけど学童期は、「この年齢の子はこんな感じだが、そうでなくてもいい」の、後者の方に励まされる親御さんも多いのではないでしょうか。
平均的なことを言えばこうだけれども、それよりも目の前のお子さんを受け止めてあげることが一番。
そのことを、しっかり打ち出せる原稿を作りたいと感じました。(了)